日本政府がIWC(国際捕鯨委員会)から脱退するって言うてますね
ボク、このニュースを知って、すぐに昔の「連盟よ、さらば」を思い出してはみたものの
あれは確か、日本が軍拡に走って満州侵略を本格化させた1933年だったよな…ということを考えて
いったい、いつの時代と今とが重なってんねん…と頭がクラクラしてきます
こういう政治的感覚って、いったいどこから出てくるのか…
それはボクにはもはや想像不可能なことですけど
ネットに出てた情報を見ると、例えば、こんなことが書いてあります↓
推進派には有力議員が多い。捕鯨船の拠点がある山口県下関市は安倍晋三首相、
沿岸捕鯨が盛んな和歌山県太地町は二階氏の地盤だ。」
10月29日には首相が衆院本会議で「一日も早い商業捕鯨の再開のため、
あらゆる可能性を追求していく」と表明。
外務省内に「捕鯨は役人が口を出せる案件でなくなった」(幹部)との認識が広がり、
「政治主導」での脱退が固まった。
(『「政治主導」で政策転換 捕鯨船拠点は「大物」地盤』:毎日)日本が捕鯨を続ける決意が固いのは、
捕鯨関係者が多い選挙区から選出された数人の国会議員と、
予算を失いたくない数百人の官僚たちのせいと言えるかもしれない
(『日本とクジラ なぜ日本は捕鯨をするのか』:BBCニュースジャパン)
食は「文化」の重要な要素であり、国や地域で違って当たり前…で
その相違に優劣評価を受ける理由は(基本的には)なく、
お互いの文化尊重のルールの延長で、食文化も尊重されるべきだ…とボクは考えます
そして、BBCの記事を書いた外国人記者もまた
「捕鯨が日本の伝統文化に基づくもので、
日本の漁師は何百年にもわたってクジラを捕獲してきたし、
何を食べていいか悪いかを外国人に指図されるいわれはない、
という…(日本)政府の言い分に理がないわけではない」
…と言っています
けれども、日本の「南洋捕鯨」(=外洋まで出て行って大型の鯨を捕るもの)は
伝統とは言いがたく、それは敗戦後の食糧難の時代に
貴重な(動物)タンパク源として鯨肉が利用された…という事情によるものでした
なので、日本政府が「伝統」と主張するならば
それは過去何百年も続けてきた「沿岸捕鯨」に範囲を限定すべきであり
捕鯨に批判的な国々もそれなら認めても…と、何度か「落としどころ」はあったんでした
ところが、なぜかその捕鯨推進国と反捕鯨国との「落としどころ」を
日本政府がことごとく蹴った…その結果が「南洋捕鯨の再開」…ではなくて
「IWC脱退+EEZ内での捕鯨」というのは
どない考えても「何がしたかったのかわからない」というものであり
日本政府の振る舞いの不可解さは、もはや摩訶不思議魑魅魍魎の世界に突入したのであります…
※EEZ(排他的経済水域)とは、その水域にある様々な資源(→水産資源を含む)を
(無条件で)自国のモノにできる…という趣旨で認められるものではなくて
探査・開発・「保全及び管理」を行う…という趣旨で
排他的な権利(他国から侵害されない独占的に行使できる権利)を認める…というもんですから
EEZの中だから何でも獲っていいんだ…ということにはならず
(→特に「海は繋がってる」ので水産資源を囲うことはできませんしね)
もし、IWC脱退後に日本がEEZ内で鯨を自由気ままに獲れば、
今以上の批判を受けることになるでしょう
(なので、IWC脱退したからこれで問題解決…ということにはならず
さらなる問題を作り出すだけでしょう)