紛争地に出向いて拘束された人に対して
(拘束されたのは)「自己責任」だ!…と言う人がネットを中心にまだいてるようです
けど…
ネット上で「自己責任だ!」と騒いでる人は
どこまでいっても「匿名の安心感」を前提にしてるところ
TVなどで顔を出して「自己責任だ!」と主張する人はめっきり少なくなって
日本でもようやくそれが「大っぴらに言えなくなってる」…
ということになったのは進歩と言えるでしょう
(この点、顔を出して「自己責任」と言いたげな人も、
「まずは謝罪すべき」というような婉曲な言い方しかできなくなってるようですしね…)
そしてそれは、「自己責任論?」をキチンと批判してきた人たちがもたらした成果であり、
社会が「自己責任論?」の誤りに気づいた結果であります
ぼくはもともと、この「自己責任」という言葉が
いったい何を言いたいのかよくわからないところがありまして
その意味するところは多分、
「因果応報」(≒原因をつくったのは君だから君が悪い)…
というようなもんだと思いますけど、
拘束される人はどこまでいっても「被害者」なので
何で被害者が悪い…ということになるのか、そこから理解不能だったんです
まさか、「被害者が悪い」ということにすると、
被害者を助けなくていいからなのか…なんてことを考えたりするんですけど
そんなことはあり得ませんよね
(だって、犯罪の被害者を助けなくていい…なんてコト、あり得ないじゃないですか)
じゃ、「自己責任論者」って、何が言いたいんでしょうか
政府の言うことを聞かなかった人だから、
酷い目にあっても「ざまぁ」と言いたいのか…
あるいは、拘束された人を助ける義務を自分が課せられたわけでもないのに
なんだか自分に迷惑がかかったかのように錯覚して、
(≒自分が政府になったような気分になって)
とにかく、謝ってもらわんと気がすまん…と思ってるのか、
はたまた、実はこういう行為のできる人がうらやましくて妬いてるのか、
…と、いろいろ考えるんだけども、やっぱりよくわからん…
この点、「自己責任論?」者がいかに考えようとも
(在外)邦人の保護は国の義務なので、どんな屁理屈をこね回そうと
海外で拘束された邦人を見捨ててもいい…ということにはならないところ
もし、そんな政府があったとしたら、そんなの政府じゃないし、国じゃない…でしょう
ちなみに、海外でも「自己責任論?」は明らかに劣勢…というか、
そもそも、そんなコト言ってる人っているの?…という話でありまして↓
例えばBBCの記者が捕まった、その時じゃあ、イギリスの国内世論でどういう事が起きるか、『我々の知る権利を保障する為に、我々が知りたい事を取材しに行ってくれた、その記者が捕まった、解放運動を起こす』、誰一人『行った記者が悪いんだ、放っておけ』なんて言う人は居ない。」
ニュース23 拘束されていたフランス人ジャーナリストが解放され母国に降り立った時の様子。出迎えたのは当時のオランド大統領。 フランス人記者 「リスクをとる記者がいるのは良い事。…バカじゃないかということはない。彼らのおかげでシリアの情報が届く、という考え方。」
日本でもようやく「自己責任論?」が収束しつつある…というのは
よき兆しであると思っております
※今回の拘束事件では、被害者がジャーナリストということで
それもまた「自己責任論?」が劣勢になった理由の一つかと思いますが
今回の事件の被害者がもし、「何でも(この目で)見てやろう」の精神の発露で
紛争地に飛び込んだ…としても、「自己責任論?」が誤りであることに変わりはありません