2016年12月

「違法な長時間労働」ってどういう意味なんだろ…

日本の広告業界のガリバーと言われる電通で、去年の12月、「二人目の過労自殺」があったのは

みなさんもご存じかと思います

(最初の過労自殺は、25年前にあり、これは『電通事件』として有名です)

電通では、その他にも2013年の過労死(労災)認定があったし

2015年8月には、違法な時間外労働が行われていたとして労働基準監督署から是正勧告を受けてた…ということで

電通なんて会社は(反省なき)「殺人企業」と言っても差し支えないと思うんだけど

驚くべきコトに、こんな会社が厚生労働省から、

労働時間短縮に取り組み、働きやすい「子育てサポート企業」に認定されていた…

というんだから、これは電通だけがどうかしてるんじゃなくて、政府(厚労省)もどうかしてる…


ちなみに、「子育てサポート企業」は次世代育成支援対策推進法に基づく制度で、

重大な法律違反がないことも基準となってるところ、

電通は平成19,25,27年の3回「子育てサポート企業」に認定されたんだけど、その間の26,27年に

労使協定で定めた残業時間の上限を超える、違法な長時間労働を社員にさせたとして

支社も含めて労基署から是正勧告を受けていた…っていうんだから

これはどない考えても、やっぱりどうかしてるよな、厚労省…


ところが、2015年の過労自殺で電通をかばいきれなくなったのか、

厚労省は電通の「子育てサポート企業」認定取消しを検討するとともに、こんなことも言い出してるんです↓

<違法残業新基準>「月80時間超」に…厚労省(毎日新聞 12/27)

 電通社員の過労自殺を受け、厚生労働省が発表した緊急対策には、違法な長時間労働を現行の「月100時間超」から「月80時間超」に引き下げることに加え、過労死・過労自殺が複数の事業所で出た企業名を直ちに公表する新基準も盛り込まれた。新基準は早ければ来年1月から順次運用する。

 新基準では複数の事業所で過労死・過労自殺があった場合などは労働基準監督署の指導を経ず、直ちに企業名を公表する。昨年度に月80時間超の残業で過労死・過労自殺と認定された人は151人で、同省は基準を厳格化して企業幹部の危機意識を高めたい考えだ。〜

この記事だけを読むと、なんだか「月80時間超」の残業をさせることが

「違法な長時間労働」であるかのように錯覚してしまいそうですけど(→かく言うぼくも、一瞬錯覚してもうたやん…)

少し前に、赤の太線強調した部分をもう一度読んで見てほしいんです

そこには「労使協定で定めた残業時間の上限を超える、違法な長時間労働」って、

書いてありますよね(…って、自分でそない書いたんやけど、実はこの部分はある記事の一部のコピペでして

この部分がなかったら、ぼくも錯覚したまんまやったかも知れません…)


どういうことかと言いますと、「月80時間超」の残業をさせたら、即「違法」になるんじゃなくて

「労使協定で定めた残業時間の上限を超えて」「月80時間超の残業をさせたとき」だけ、

その長時間労働が「違法」となる…というわけでして

要するに、「労使協定で定めた残業時間の上限そのもの」が「月80時間を超えていたら」

いくら月80時間超の残業をさせても、それは「違法」とはならない…ので

そういう場合には、「企業名の公表」というペナルティもない…ということなんですわ

(なんか、めっちゃわかりにくい話やないですか、これ…)


ここで、自己学習も兼ねて、労働基準法における労働時間のことを調べていくと

本来、「労働時間の上限」は…

「原則は労働基準法第32条で1週間40時間、1日8時間と決まっています」(厚労省HPから)

…ということで、基本的に、雇用者は労働者を残業させてはいけない…ということになってますねん

(→ホンマでっせ、これ…)


で、この原則を超える労働が法定時間外労働といって、いわゆる「残業」ということになるわけですが

残業はあくまでも例外なので、雇用者が勝手気ままに労働者に命じることができるのではなく

雇用者は過半数の労働者が加入する労働組合(あるいは労働者の過半数を代表する者)と

労働基準法36条に定める「協定」(通称36協定=時間外労働及び休日労働に関する協定)を結ばないと

雇用者は労働者に残業させることはできない…という手続が求められてます


そして、この「36協定」においても、無制限に労働者を残業させることができるわけでもなく

そこには「残業時間の制限」が設けられてまして、

それは原則として「月45時間まで」ということになってるんです

(→例外規定の残業でも、原則は「月45時間まで」でっせ…)


もし、ここで話がお終い…になるのであれば、例外の残業でも「月45時間まで」という法律上の制限があるから

「過労死ラインとされる月80時間超の残業」は皆、「違法」な長時間労働になって

過労死もなくなっていくだろうという話になるはず…

なのに、そうは問屋が卸さない…のではなくて、そうは国が許さない…と言うべきか、

「例外規定」であるはずの36協定にはなんと、例外のこれまた例外…とも言うべき「特別条項」という取り決めがありまして

それを結べば、なんと、「残業は青天井で認められる」…(って、なんちゅうムチャな話やねん、これ…)


ほな、日本を代表する大企業が、どんな(特別条項付き)36協定を結んでるのか…と言えば

その一部はこんなんです…↓


(しんぶん赤旗「過労死ライン超え残業協定 経団連役員企業など40社中78%」より)


つまり、日本を代表する大企業が率先して

「(月80時間超という)過労死ラインを超える残業をさせられる特別条項つき36協定」

を結んでるから、過労死(あるいは過労自殺)がなくならないわけでありまして

コトは電通だけの話ではなく、その他の会社はもちろんのこと、

過労死ラインを超える残業をさせてもOKよ…という労働基準法をそのまんまにしてる政府もまた共犯…

ということであります

(塩崎厚労相は、このたびの企業名公表を念頭に「過労死をゼロに」と言うとりますが
「過労死ラインを超える長時間残業をさせても違法でなくなる規定があるザル法」(=現行の労基法)をそのまんまにして
 いったい、どないして過労死がゼロになると言うんでしょうかね…?)

「祖国のために命を捧げた勇者たち」でまとめられちゃかなわんのだ

安倍ちんが、わざわざパールハーバーまで行って

日米両国の「祖国のために命を捧げた勇者」に「哀悼の誠」を献げたんだって

でもさ、戦争ってのは「祖国のために(≒祖国を守るために)」と言える自衛戦争と

「祖国のために」とは口が裂けても言えない侵略戦争があって

日本の兵隊さんは「祖国のために(≒祖国を守るために)命を捧げた」とは言えないんだよ

(そこにあるのは、形式的に「国の命令によって兵隊にさせられて、戦場に駆り出された」という
 一方的指揮命令系統があるだけで、正確に言うなら「祖国の命令によって命を取られた」と言うべきだろうさ)


何度も言ってんだけどさ、あの戦争は「してはいけなかった戦争」だったんだよ

(※「あの戦争」ってのは、中国相手との戦争も当然含んだ話だよ)

そして、「してはいけなかった戦争」であるがゆえに、戦争してしまった後でも、

あの戦争は「勝ってはいけなかった戦争」だったんだし

「一日も早く負けたら(いろんな犠牲が少なくて)よかった戦争」でもあったんだ

(ってことはさ、日本の兵隊さんがあの戦争を「勇敢に戦う」必要なんて最初からなかったってことなのさ)


安倍はスピーチのなかで「ここから始まった戦い」って言ったんだけどさ

物事は正確に言わないといけないんだよ

だからこれは「かつて日本がここから始めた戦い」って言わないといけないし

さらに言うと、日本は英米仏蘭等を相手に戦争を始めるずっと前から

中華民国に「宣戦布告なき侵略戦争」(→だから「事変」って言ってたんだよね)をふっかけてたんだから

それを抜きにしゃべっちゃいけないよね

(もちろん、戦争に至らずに植民地にした朝鮮のことだって忘れちゃいけないしさ)


一言でいって、今回の安倍のスピーチには普遍性がないのさ

だって、昔、中国で死んでいった日本の兵隊さんのことを「祖国のため命を捧げた」なんて言えないだろ?

(そんなこと、もし、中国で日本の総理大臣が言ったら、大変なコトになるよ…)


今回の安倍のスピーチの主眼が、過去のこと…じゃなくて現在のコト、

つまり、現在の「日米同盟の強さ」のアピールにあるのは、ぼくにもよくわかったんだけど

「日米同盟(=日米安保条約)」って「平和条約」でもなんでもなく、単なる「軍事同盟」であって

それは言ってみれば、過去の「日独伊三国軍事同盟」みたいなもんなんだよ

(ぼくには、軍事同盟を世界にアピールする…っていう神経がよくわかんないよ)


安倍ちんは「日米同盟」を「希望の同盟」って言うけど

その「希望」とやらのために、過去数十年にわたって踏みつけられ続けている沖縄にとって

(沖縄に米軍基地を置く根拠となってる)「日米同盟」が「希望」であるわけがないんだよ

(そういうところも、普遍性がなかったね)


で、結局、安倍のスピーチは政府レベルでの「日米関係」という狭い範囲の一方的な話でしかなくて

国内的にも、海外的にも、普遍性が感じられなかったから

ぼくにはまったく響いてこなかったんだ

(まぁ、安倍の言うことがぼくに響いたことなんか、今まで一度もなかったんだけどね…)





※年の瀬も押し迫った本日、防衛大臣の稲田が戦争神社と海外から解説されている靖国神社に行きました

稲田もまた、安倍と同じように、靖国神社が(遺族や本人に無断で)勝手に祀ってる戦死者をして

「祖国のために命をささげられた方々」と言ってたんだけど、これまた正確な表現ではなくて

靖国神社は「天皇の名の下に戦いに駆り出されて死んでいった兵隊さん等」を祀っているところに過ぎません

(つまり、「戦死者」を選別して祀ってるに過ぎない、一宗教施設でしかありません)


そして、靖国神社は戦争中、宗教的側面から戦争遂行に大きな役割を果たした…なんて言い方は適当ではなくて

侵略戦争遂行に不可欠の悪行をしてきた(全体主義カルト)宗教であり、その姿勢は現在も戦前のまんま…

そんなトコに現職閣僚が参拝に訪れて「祖国のために命をささげられた方々」に感謝…なんて言うのは

過去、大日本帝国の軍隊に酷い目に遭わされた国々から見て、絶対に容認できるわけがありません

(人として、最低限の想像力があったら、そんなことはすぐにわかろうというもんです)

にも関わらず、稲田は

「私は、いかなる歴史観に立とうとも、いかなる敵味方であろうとも、
 祖国のために命をささげた方々に対して感謝と敬意と追悼の意を表するのは、
 どの国でも理解をしていただけるものだと考えております」

…と真顔で言う


これは、「オマエら(→中国や韓国・朝鮮)のことなんか、知るかい!」

「オレは(ワタシは)オレの(ワタシの)したい通りにするんじゃ」と開き直り、

中国や韓国・朝鮮にケンカを売ってるとしか思えないのでありまして

閣僚がこういう挑発を何度もしてくる国がいくら「平和」だの「未来志向」だのと言ったところで

「寝言は寝て言え!」…という他ありません




※稲田は「靖国教の信者」であるか、あるいは「靖国神社に共感をもつ」からこそ定期的に靖国に参拝に行ってるところ、

自分は特定の宗教観(あるいは歴史観)に基づく参拝という行為をしていながら

それを「いかなる歴史観に立とうとも、いかなる敵味方であろうとも、…どの国でも

理解をしていただけるものだと考えております」と解説して普遍的な話にすり替えるのは

あまりにも図々しい話であろうかと思います

ポチに「報道」なんてできないのだ

ポチたるもの、主人に呼ばれれば、しっぽを振りながら喜んで主人の下に駆けていく…というもんやけど↓

首相動静(12月20日)…午後7時22分、京橋の「京都つゆしゃぶCHIRIRI」で石川一郎BSジャパン社長、小田尚読売新聞論説主幹、粕谷賢之日本テレビ解説委員長、島田敏男NHK解説副委員長、曽我豪朝日新聞編集委員、田崎史郎時事通信特別解説委員、山田孝男毎日新聞特別編集委員と食事。
(↑ひとさまのtweetより)

ぼく、安倍ちんのメディア接待がバレたときには、

さすがに、もう、そういうあからさまなことはせえへんようになるやろ…と思ってたのに

首相によるメディア接待がバレても、安倍ちんが国内主要メディアの幹部の食事招待をやめるわけでもなく

かたや、呼ばれたメディア幹部がそれを辞退することもなく、かつ、幹部を接待の場に送り出してるメディアが

「取材対象との過度の癒着」を理由に、接待を受けた幹部を処分することもない…

それはぼくの常識の範囲を遥かに超える展開なんやけど、

それはもしかして、「ぼくの常識」が間違ってるのからなのか…?

(…って、それはないと思うけどな…)


そして、それは国内主要メディア幹部クラスだけ…の話でもなく

今年もやってきました、忘年会の季節…↓

日刊ゲンダイ◆今年もタダ飯タダ酒 安倍首相ポチ記者“ごっつぁん忘年会” http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/196651 … 「内閣記者会の懇談会にかかる経費はすべて国費で賄われるのが通例」「すっかり飼い慣らされてしまった記者クラブのポチ記者たち」
(↑ひとさまのtweetより)

内閣記者会(→それは「記者クラブ」ってことなのかな?)と言ったって、それは別に公的な機関でもなんでもなく

単に、国内主要メディアの「首相の番記者たちの集まり」でしかないんだけど

首相の番記者たちに「1年間のご褒美を兼ねて国費で忘年会」とは

またなんと呆れた展開なのよ、これ…

(そんでも、この忘年会はもう、「恒例行事」なんだって…)


で、こういう展開を端から見てると、彼ら国内主要メディアは幹部クラスから若手(エリート)記者クラスに至るまで

取材対象である政治権力からの「独立性(≒適度な距離感)」などまったくなく、それどころか

政治権力にすっかり懐柔されて、その心情はもはや「一心同体」…と言いたいところだけど

主観的にはともかく、客観的に彼らが政治権力者になれるわけでもないので、

そんな彼らの姿を一言でいうならば、それは政治権力のポチ以外の何物でもない…

だから、こんなニュースを流したり…↓

真珠湾にて。安倍晋三「憎悪の連鎖が続いています。世界には寛容の心、和解の力が必要です」。「侵略」を認めず、沖縄を痛めつけ、核兵器禁止条約に敵対し、南スーダンへの武器禁輸決議を妨害する、あなたにだけは言われたくない。

12月28日朝、まるで政府広報のようなNHKニュース。

(そういや、安倍ちん関連のニュースのときによく出てくるこの人は
 NHKがつけた安倍ちんの番記者なんだけど、この人、安倍ちんの「ヤジ」のことを「自席発言」て言ったんだっけ…)


そんでもって、こんな「提灯記事」を書いたりするんだろね…↓

<真珠湾慰霊>欧米メディア「両首脳は詩的で感動的な演説」(毎日新聞 12/28)

 欧米メディアは日米両首脳の真珠湾での慰霊演説を速報で伝えた。ニューヨーク・タイムズ紙(電子版)は安倍晋三首相が「真珠湾攻撃への後悔を表明したが、謝罪はなかった」と伝えた。米CBSテレビは現地からの中継で「両首脳は共に、詩的で感動的なスピーチで和解を強調した」などと報じ、「両者ともリンカーン元大統領の言葉を引用したことが興味深い」と指摘した。

 ロイター通信は今回の慰霊が、米国でのトランプ新政権誕生の直前であることに触れ、「(新政権下で)日米関係が複雑になる可能性がある中で、両国の同盟深化を強調する意味合いがあった」などと分析した。

 一方、英BBCテレビは安倍首相の演説を生中継した。首相が「二度と戦争の惨禍を繰り返さない」と誓ったと報じるとともに、オバマ米大統領が今年5月に米大統領として初めて被爆地・広島を訪問したことも伝え、両国が同盟関係を深めたと分析。一方、中国外務省の華春瑩・副報道局長が記者会見で「中国やアジア諸国との和解がなければ日本は次に進めない」と述べたことも伝えた。

(ぼく、パールハーバーでの安倍の演説に感動する人なんかいてるんか?…と思うけど
 CBSが中継でそう言ってたから、それを伝えないと…という使命感で一杯なんだろうね、この記者…)

もちろん、「外電(あるいは海外での報道)の紹介」も大切ではありますが

ぼくとしては、外電(あるいは海外での報道)を紹介するのであれば、

自社(→この場合は毎日新聞社)としての安倍スピーチの受け止め方を真っ先に披露して欲しかったところです…


でまぁ、結論としては、ポチに広報(=政府ヨイショ)はできても「報道はできない」ということでありまして

ぼくたちはそういう国、すなわち、主要なメディアが報道してくれなくて広報ばっかりしてる怖い国に住んでる…

ということでよろしいかと思います…




※ちなみに、こういうのも「報道」ではなく「広報」(=政府ヨイショ)の類です…↓

安倍首相 「報道写真展」を鑑賞 「マリオ」サイン(毎日新聞:2016年12月24日)

 安倍晋三首相は24日、東京・日本橋室町の日本橋三越本店で開かれている「2016年報道写真展」(東京写真記者協会主催、25日まで)を訪れ、写真約300点を鑑賞した。首相は、8月のリオデジャネイロ五輪の閉会式で自身が任天堂のゲームキャラクター「マリオ」に扮した写真を笑顔で眺めた後、主催者側の求めで写真上にサインした。

 鑑賞後、記者団に感想を問われ「今年もいろんなことがあったなと改めて思った。(5月の)主要国首脳会議(伊勢志摩サミット)がはるか昔に思える。今年もあと1週間あるので、油断せずにしっかりといきたい」と語った。

(言うとくけど、首相が笑顔でサインするような写真なんて、「報道」じゃないのよ…)




※少し前に、TBS系列の番組「報道特集」で、韓国の大統領退陣要求デモのことを取り上げたことがあり

そのなかで、記者がデモ参加者から「(韓国のメディアだったら話さないけど)日本のメディアだから話をする」…

と言われてコメントを取った…と、なんだか自慢話のようなやりとりがありました

韓国の古くからの大手メディアは、ほぼすべてが「政権寄り」(正確には、現政権与党のセヌリ党寄り)であり

韓国市民のメディア不信は根強いものがある…

そういう話はぼくも聞いたことがあります

けど…

この番組の記者が自分たちの会社の姿勢(あるいは、日本の惨憺たるメディア状況を顧みずに)

たんに「韓国市民のメディア不信」だけに言及してお終い…というのは

誠に自分に甘い話(かつ、自分たちを客観化できてない話)でありまして、こういうやりとりを見ていても

日本の「自称報道機関」の内部にいる人たちの緊張感のなさは呆れるばかりです

(ちなみに、政権寄りと言われている韓国の国営放送局(KBS)の社長は大統領が任命するそうですが
 2014年には、KBS社長に任命された人物があまりにも政権の意向を番組に反映させようとした…ということで
 KBSの社員達がストをしたことがありまして、こういうところは明らかに韓国の方が
「国営放送局の(政治からの)自主独立性が高い」と言えるのではないかと思います)




※日本の記者たちって、どうも自分たちの姿を客観視できてないみたいだけど

端から見ると、こんな感じ…です↓


(これは、イギリスの「エコノミスト誌」に掲載された風刺画つきの記事です)

「報道機関が政治権力者にひれ伏す国」ってのは、要するに「報道機関がない国」でありまして

そんな国は形式的にどんな「民主的体裁」があったとしても、端から見れば「民主国家」とは言えまへん…

「ポエムズ、エブリバディ!」

さて、今年も残すところ、あと1週間となりましたが、

みなさま、どのようにお過ごしでしょうか(…って、オレはアナウンサーか?)


…と聞いたところで、みなさまの返事は聞けないので、ぼくのことを言いますと

ぼくは先週くらいから、早くも頭の中が「年末年始モード」になってしまいまして

日頃やる気のないぼくがもっとやる気がなくなって、さぁ大変…(って、何がやねん!)


そんなやる気のないぼくは、何もする気がしないもんだから

いつもはブログを書く時間帯である寝る前に、ネットで音楽ばっかり聞いてますねん

…と言っても、音楽にはあんまり関心がなかったぼくなので

音楽を聴くだけ…では、これまた時間が持てへん…ということで

音楽と共に映像が一緒に鑑賞できるユーチューブというところで

音楽ビデオばっかり眺めてる…というか、聴いております

(現在も、ビリージョエルの『ストレンジャー』がイヤホンから流れております…)


で、大晦日でもないけど、今年1年を早めに振り返ってみると

個人的には家族に大過がなく無事に過ごせたので、それはそれはよき1年でありました

(まぁ、小禍ぐらいはときどきありますけど、それはええんです)

ただ、「よき1年」であったのは、「ぼくの家族」という狭い範囲の話だけ…でありまして

もっと広く「社会」ということで振り返ってみれば、「ええことなんか、なんかあったか、今年…?」というほど、

よくないことばっかりが後から後から起きた1年であったように思います

(そして、そのほとんどは自然災害のように「起きた」もの…ではなくて、人が「起こした」ものでした)


ぼくは、「人類の進歩」というもんを信じてる素朴な青年…やなかった初老年なので

昨日より今日はなにがしかよくなる、そして、今日よりは明日の方がやっぱり、なにがしかよくなる…

ということを信じて今まで生きてきましたけど、残念ながら、進歩というのは一直線には進んでくれないもので

ときには斜め方向に進んだり、あるいは逆戻りすることだってある…

だから、今は「逆戻りの時期」なんだ、でも、「逆戻り」だっていつまでも続くわけがない…

と思ってみたりもしますけど、それにしても現在の「逆戻り」の時間は長すぎるやんけ…と感じてまして

こんなに「逆戻り」の時間が長かったら、元に戻すだけでかなりの時間を費やすがな…と焦ってもいます


ところで、「人類の進歩」というもののなかには、まぁ、一応は「経済の進歩」というもんも入ってるとは思いつつ

実は、ぼくはそこにはあんまり関心がないんですけど、例えば、

「社会が進歩してるのに経済が停滞してる」…とか、それとは逆に

「社会が停滞してるのに経済が発展してる」…なんて話がありうるのか…を考えてみると

そういうことはあんまりないんじゃないかと思うんです

(特に、高度経済成長期を過ぎた社会では、「社会の進歩」と「経済の発展」は
 リンクするもんじゃないか…と思ってます)

だから、ぼくは経済(政策)のことは正直、ほとんどわからんのですけど

「社会が逆進してる」状況下で経済が好転する…なんてことはあり得ないだろうと思ってるんです

(なので、社会を逆進させてる人たちにそのまま政治を任せていては、
「経済政策以前の話」として、この国の経済は決して好転しないと思ってます…)


…と、とりとめのない話をしてしまいましたが、ぼくがユーチューブの中で偶然見つけたビデオに

ピンクフロイドというバンドの『アナザー・ブリック・イン・ザ・ウォール』という傑作な音楽…というかビデオがありまして

そのビデオのなかにとっても印象的なシーンがありました

それは…ある学校で教師が授業中に一人の生徒が持っていた手帳を見つけてそれを取り上げながら

その手帳に記されていた詩を他の生徒達と一緒になって嘲笑する…というシーンでした

(このエントリーのタイトル「ポエムズ、エブリバディ!」(詩ですよ! みなさん!)は
 その時の教師の言葉です)


この曲は、「擦り込み教育」(…というか「管理教育」)を痛烈に批判するもので

ビデオのこのシーンは、教師が詩を「役に立たないもの(=無駄なもの)」として、

他の生徒の前で否定して見せる…という象徴的なエピソードになってるんですけども

詩を「役に立たないもの」とし、「役に立たないもの」は「無駄なもの」なのだ…という教師(…というか教育)を

批判的に描くこのビデオを眺めていて、ぼくは、現在、安倍内閣が進める「学問への浅はかな介入」を思い出すんです


安倍内閣が「役に立たない」人文系学部を軽視し「役に立つ」理系重視の予算配分をし、

国立大学の組織も「理系重視」にしようと画策しているのは、みなさんもご存じかと思いますが

彼らが考えるところの「役に立つ(学問)」という基準は、要するに

「社会の進歩に役に立つ」というような意味ではなくて、

「お金儲けに繋がるか否か」という基準であることは明白です


だからこそ、彼らが、お金儲けにはあんまり繋がらない…けど、

個人の人生や社会の進歩に繋がる可能性のある人文系の学問を

「役に立たない」ものとして切り捨てようとしてるわけですけど

それは、詩を「役に立たないもの」として嘲笑し、禁圧するこのビデオに出てくる教師の姿とダブって見えるんです


ここで話はすこしズレて、学問(特に理系の分野)には「基礎研究」というもんがありますよね

「基礎研究」というのは、おおざっぱに言えば

「何かの役に立つ(→それが具体化・実用化する)かどうかはわからないけど、役に立つかも知れない基礎的な技術」を

研究するもんで(…って、ホンマにこんな説明でええのか?)

実際、ほとんどの基礎研究は何も実りがないままに終わってしまう運命にあり、

仮にそれが何かの役に立つ(→具体化・実用化される)にしても、それは数十年後…ということが多々ありまして

まぁ、それが「基礎研究」の宿命というべきもんですわ

(だから、「お金儲けに結びつくか否か」という基準で言えば、基礎研究なんぞは最初から分が悪い…のでありまして
 安倍ちん内閣基準で言えば、理系の基礎研究さえ、「役に立たないもの」として映ってるようです)


しかし、理系の基礎研究は、理系の応用技術の土台になる大切なもんで

そこをおろそかにしては、花開く技術やアイデアも出てこないわけでありまして

基礎をおそろかにする者が応用で成功するわけない…なんてことは

理系でないぼくでもわかることです


そして、基礎研究が「役に立つかどうかはわからん」けど「理系技術の進歩」には不可欠…であるように

人文系の学問だって「役に立つかどうかはわからん」けど「社会の進歩」には不可欠…なのでありまして

(もちろん、個人の人生の充実にも不可欠やと思うし…)

そこをおろそかにしては社会の進歩などあり得ない…と、ぼくは思います

(…ということで、人文系学問を無駄だと考え、基礎研究すら軽視する安倍内閣では
「社会の進歩」も「理系技術の進歩」も叶えられることはないでしょう)





※ちなみに、人文系学問を切り捨て、基礎研究すら軽視する安倍ちん内閣が重視するのはこんなんです…↓

安倍内閣が前年の18倍の巨額「軍事研究」予算を閣議決定! 大学や科学者も軍事協力に前のめりに(12/22)
http://lite-ra.com/2016/12/post-2794.html
(↑ひとさまのtweetより)

非礼と三文芝居と茶番と現実

ひとさまのtweetから…

沖縄県選出の国会議員団はアポを取って沖縄防衛局の中嶋局長に会いに行ったのにすっぽかされた。自民党の県議には会うけど、オール沖縄の国会議員との約束はすっぽかすところに、中嶋局長の沖縄を馬鹿にした態度が現れている。

自民党沖縄県連会長の照屋県議ですら沖縄防衛局の中嶋局長を怒鳴りつけ怒りのあまり涙を流した。

二つ目のtweetには「自民党沖縄県連会長ですら…怒りのあまり涙を流した」とありますが

ぼくはそこまで「自民党沖縄県連会長の涙」を好意的に受け取ることはできません


なぜなら、沖縄防衛局の局長は、「野党だけからなる沖縄選挙区選出国会議員団」の訪問をすっぽかす…という、

非礼を働きながら、自民党沖縄県連会長との面談にだけは応じた…のでありまして、

これを端から見るならば、沖縄防衛局長という官僚が「自民党(沖縄県連)の顔を立てた」だけ…


そして、自民党沖縄県連は基本的に本土自民党と立場を異にするものではないところ、

(なんか、「選挙のときだけ」自民党本部と違うコトを言うてるみたいやけどな…)

そのような姿勢でいる方たちが、突然オスプレイの飛行再開のときだけ「涙を流して抗議」しても

ぼくにはその「真剣さ」がまったく伝わってこないのであります

(一方で、その「三文芝居さ」はひしひしと伝わってくるけどな…)


そうそう、なんか、沖縄にあるアメリカ海兵隊北部訓練場の約半分を返してもらえる…ということで

日本政府とアメリカが沖縄で返還記念式典をしたそうで

そのなかで「言うことウソばっかりの菅ちん」が

「今回の返還は県内の米軍施設の約2割が減少し、沖縄の基地負担軽減に大きく資するものだ」…

と言うたんですけども、今回、アメリカが日本に…というか沖縄に返すことになったところは

「(アメリカ海兵隊が訓練場として)使えない土地
(米軍海兵隊が2013年にまとめた報告書「2025戦略展望」より)

…でありまして、アメリカはその「使えない土地」を返還する条件として

「残りは海兵隊が最大限利用できるよう開発される
新しく近代的で、効率的な施設から海兵隊は利益を得るだろう。
 隊員とその家族を何世代にもわたり支えられる
(同報告書より)

新しいヘリパッドの整備を要求してきたわけであり、そのヘリパッドが完成した…ということで

このたびの返還記念式典開催…と相成ったのであります


これは、アメリカ側からみて、(使ってなかった土地を返す…という当然のことをしただけで)

「ただで新しいヘリパッドが手に入る」という誠においしい話であり

その新しいヘリパッドつき北部訓練場は、これから「海兵隊員とその家族を何代にもわたり支える」ことになる…

というんですから、これを「沖縄の基地負担軽減に大きく資する」(菅ちん談)と言うのは

もう「茶番」としか言いようがありません

(ちなみに、新しいヘリパッドが「沖縄や日本の市民(の安全)を何代にもわたり支える」のではなくて
「海兵隊員やその家族を支える」ことになるだろう…とアメリカ軍が言うてることからみても
 日本(特に沖縄)にある米軍基地が彼らのために存在することがはっきりくっきりわかろうというものです)


これは「世界一危険な基地」と呼ばれる普天間基地についても言えることですが

もともと、そんな基地を維持してきたことが大きな間違い(=沖縄市民への虐待)なのでありまして

その虐待を止めたいなら、新しくて使い勝手のいい基地を用意してね…とアメリカが要求し

その要求に日本政府が応えようとするのは、「沖縄の基地(機能)強化」以外の何物でもありません

(つまり、それが「日米同盟の強化」の中身…ということですわ)


「日米同盟の強化(あるいは深化)」という言葉を聞いて、それを肯定的に(好意的に)受け止める人が

この国(特に本土)の市民には多いと思いますけども、

その実態は「沖縄の米軍基地強化」(沖縄のアメリカ軍基地恒久化)に過ぎません

そんなことを好意的に受け止める…というのは、沖縄の犠牲を好意的に受け止めるのとおんなじ…であり、

それは、沖縄差別を肯定する恥ずべき態度であると思います


最後に、三文芝居でなく茶番でもない「沖縄の現実」について書きます

使ってなかった…というか、使えないことがわかってた土地を返還する代わりに

沖縄の東村高江に新しく造らせたヘリパッドで、アメリカ軍があのオスプレイを飛ばすことになったせいで

もう高江では暮らせなくなった人がいます

今朝12/24の沖縄タイムス社会面。高江に住み2007年からヘリパッド建設反対の先頭に立って来た安次嶺現達さん。一家は高江を離れ県外移住へ。自宅はヘリパッドから400メートル、オスプレイの騒音で子供達が体調を崩すなどし、本格運用が始まれば住めなくなると判断したため。

騒音に耐えかねて土地を追われる人までいるというのに、「左翼が騒いでいる」という認識から動けない奴はどうかしてる。この人の一家はもはやディアスポラじゃないか。原発ディアスポラの福島人の子供をいじめるクソガキやそのクソ親と何が違うんだ。お前ら皆クソだ。
(↑ひとさまの一連のtweetより)

自宅から400メートルしか離れていない場所にヘリパッドを造られ、そこにあのオスプレイが飛び交う…

そんななかで「(平穏な)暮らし」が営めるはずがありません

日本政府とアメリカ政府は、沖縄の市民の「平穏な暮らしを営む権利」を奪いながら

互いに「日米同盟の強化」と言い合い、肩を抱き合っている…

これは茶番であるとともに悲劇であり、これほど醜悪な政府も珍しいと言うべきでありましょう





※沖縄の米軍基地は、昔、GHQ(≒アメリカ軍)が沖縄を占領しているときに

当時の国際法で禁じられていた「占領地の侵奪」をしてつくったものです

アメリカ軍は、沖縄の市民が暮らしていようが、そんなことはおかまいなしに

いきなり土地を囲い込んで住民を追い出しながら沖縄の土地を侵奪していったのですが

アメリカ軍の施設のために、住民がそこに住めなくなることで結果的に追い出すことになった…という、

このたびの出来事は、占領時代の沖縄とおなじことがいまだに繰り返されている…という恐るべき事態であり

アメリカ(軍)による沖縄の占領(≒本土による沖縄切り捨て)は、いまだに続いている…としか言えません

(安倍ちんは、きたる「パールハーバー訪問」によって「日米間での戦後の終わり」を高らかに宣言するそうですが
 沖縄には「戦後」なんか来ていません…)