2015年06月

戦争法案関連…百田某は腹話術の人形

百田某が、自民党の「若手議員の集まり」でトンデモナイことを言うた…と、大騒ぎになってますね

(と言いつつ、サンケイはまったく騒いでないけどな…)


けど、百田某は昔からずーーーーーーーーっと「そういう人」であるところ

この人にしゃべらせて「何事も起こらない」ことなんか、およそないわけですので

これは百田某が言うた…とゆうよりは、

トンデモナイことを言う人を自民党がわざわざ呼んで好き勝手にしゃべらせた…ということです

(→なので、これは実質的に自民党(の若手)が言うたのといっしょです)


つまり、彼らは「政治家である自分たちが言いたいんだけど、直接言えば非難を受けるようなコト」を

百田にしゃべらせただけでありまして、要するに百田某は

自民党(の若手)が操る腹話術の人形みたいなもんですわ

(→だから、百田の言葉は自民党(の若手)の言葉と思って間違いはないということね)


…と書きつつ、実は自民党の若手も腹話術の人形に負けず劣らず直接…

●大西英男衆院議員(東京16区、当選2回)

 「マスコミを懲らしめるには、広告料収入がなくなるのが一番。政治家には言えないことで、安倍晋三首相も言えないと思うが、不買運動じゃないが、日本を過つ企業に広告料を支払うなんてとんでもないと、経団連などに働きかけしてほしい」

●井上貴博衆院議員(福岡1区、当選2回)

 「福岡の青年会議所理事長の時、マスコミをたたいたことがある。日本全体でやらなきゃいけないことだが、広告の提供(スポンサー)にならないということが一番(マスコミは)こたえる」

●長尾敬衆院議員(比例近畿ブロック、当選2回)

 「沖縄の特殊なメディア構造を作ったのは戦後保守の堕落だ。沖縄のゆがんだ世論を正しい方向に持っていくためには、どのようなアクションを起こすか。左翼勢力に完全に乗っ取られているなか、大事な論点だ」

(以上、朝日新聞デジタル:6月26日)

…ってなコトを言うとりますので、やっぱり、自民党(の若手)と百田某って

同じ穴の何とか…ってことですわ


また、百田某の

「もともと普天間基地は田んぼの中にあった。周りに何もない。基地の周りが商売になるということで、みんな住みだし、今や街の真ん中に基地がある。騒音がうるさいのは分かるが、そこを選んで住んだのは誰やと言いたくなる。基地の地主たちは大金持ちなんですよ。もし基地が出て行ったりしたら、えらいことになる。出て行きましょうかと言うと『出て行くな、置いとけ』。何がしたいのか」

…との発言は、ネトウヨレベルの「事実誤認」…というか、端的にウソでありまして

こういう発言をニヤニヤしながら聞いてる自民党の国会議員というのは

ネトウヨレベルの「確信的ウソつき」でしかありません

(→このウソに関しては
県民は金目当てで親中、戦争の悲劇は捏造…百田尚樹と“沖縄ヘイト”のインチキを暴く!」(リテラ)
 に詳しく出てます)


ここまでは「安倍首相を応援する自民党若手」の話であったわけですが

この件に関する報道を受けた後、自民党の谷垣幹事長は

「何で今そういうことを言うの、というようなことは、ないようにしてほしいと心から思う」

…と、これらの「あり得ない発言」は「今言うからマズかった」という「タイミングの問題」でしかない…

と言うてはりますので、若手も谷垣も目くそ鼻くそやんけ…と、ぼくは素朴に思います


それに、安倍首相もこの自民党若手議員の懇談会に関して

「私的な勉強会で自由闊達な議論がある」…と、擁護する姿勢を示してたので

これはもう、若手だけではなくて自民党全体が共有する「(あり得ない)価値観」…

ということになってます

(それにしても、報道機関による「自由な政権批判」を圧力で封じる話が
 なぜに「自由闊達な議論」になるのか、ぼくの素朴な頭では理解不能です…)



自民党はこの懇談会が批判されると党内の「リベラル系議員の勉強会」にも

「時期が悪い」とイチャモンをつけて、中止に追い込んだそうですが

この勉強会で講師として呼ばれる予定だったのは、なんとあの「小林よしのり」でありまして

自民党は、「リベラル系議員」でさえも小林よしのりに教えを請うそうです


ちなみに、この会合を開こうとしたのは「過去を学び『分厚い保守政治』を目指す若手議員の会」…

しかし、小林よしのりは「歴史改ざん人」という「極右」に分類される人であるところ

そんな人まで強引に「保守」にしてまうのは、「分厚い」んじゃなくて

たんに「厚かましい」だけの話なので、このグループの名称は

「過去に学ばず『極右も保守にしてしまう厚かましい政治』を目指す若手議員の会」にしたらええんとちゃうか…と

ぼくは彼らに提案したいです


…ということで、自民党は「安倍首相に近い若手」だけが「トンデモ系」なのではなくて

幹事長の谷垣も、てっぺんに座ってる安倍も、さらには党内「リベラル」を勝手に自称する人たちも

みな「トンデモ系」ということになってますので、

なんか、最近、ことあるごとに涙を流して戦争法案批判をしてる議員が一人いてるから…とゆうて

自民党という政党に「儚い期待」(…というか「下らない期待」)をするのは止めて頂きたいと強く思います



※自民党という政党は、有権者から甘やかされ続けて、

とうとう「民主主義」や「自由主義」を否定する政党になってしまった…というより

それは「結党以来内に秘めてた彼らの信条」であったわけですので

「自民党のもとでなんとか…」なんて呑気な考えで、これ以上漫然と自民党を支持し続ければ

この国から確実に「自由」がなくなることでしょう

(戦争法案が通れば「憲法」かてなくなるしね…)



※自民党は若手議員の会を主催した青年局長を渋々処分しましたけど

考えてみれば、自民党は従来から報道機関に「公平中立を名目にした」圧力をかけてきたし

安倍ちんだって、TV番組のなかで露骨に編集内容に注文をつけてたし

さらには、TV朝日やNHKの幹部を呼んで放送免許をちらつかせて恫喝したり…と

報道機関への圧力(=報道への介入)を「党として」やってきたわけでありますので

処分するなら、安倍総裁以下、自民党を丸ごと処分せなアカンのではないか…と

ぼくは素朴に思います

(この点、石破方創生担当大臣が記者会見で、
「われわれは政権の側におり、権力を持っている。
 言論の弾圧と受け取られかねないようなことには、心していかなければならない」と言うたのは
 ギャグとしか思えません…)

今日の一枚の画像…この二人、入れ替わっても違和感ないよな

笑えないけど、呆れることはできるかな…?

近々、被爆地ヒロシマにおいて、こんなイベントが予定されてるようです↓



そう言えば、以前に何度か、在特会の連中が8.6のヒロシマで

(自称)「日本の核武装を訴える街宣活動」とやらをやったことがありまして

そのときは、よりにもよってヒロシマで、8.6に「核武装」を訴える…なんてことが

よくできるな…と、ぼくは呆れたし、彼らに怒ってもいたんですが、

さすがは在特会、やることが違う…と、その時、ぼくは、違う意味で妙に納得してもいました


で、今回のイベントの告知を見て、そこに出てくる人たちの顔ぶれや

その言い分の一端を見てると、やはりぼくは、在特会と同様に

さすがはあの人たち、やることが違う…と、思わずにはいられません

(つまり、このイベントに出てくる人たちって、端的に「在特会とおなじような連中」…ってだけの話ですわ)

だから…

言うてることが支離滅裂であるのは、もう、「お約束」でありまして

まぁ、取り上げて反論する価値もないくらいの話ではあるんですけども、

彼らのトンチンカンな言い分は「ギャグ」としてなら、なんとか受け入れることができなくもないので

そんな彼らの「笑えないけど呆れるには十分なギャグ」を少し、イジッてみたいと思います



まず、「8.6広島平和ミーティング」ってタイトルからして、ふざけてますな

(→これって、「戦争は平和だ」って、あの暗黒未来小説『1984』に出てくるスローガンといっしょやん…)

そして、平和を看板に掲げながら、「反核平和」が失敗だった…として、

その理由に、「(日本の)憲法9条が中国の軍拡と北朝鮮の核兵器開発も止められなかった」…と

言うてはりますねんけど、そもそも日本の憲法(9条)と中国の軍拡と北朝鮮の核開発は

まったく何の関係もない話なので、彼らの言い分は、まったくの「作文(=作り話)」に過ぎませんわ

(→だって、そもそも、日本国憲法は他国の行動を規定する法ではないので…)

それなのに…

「憲法が外国まで規制できると誤認した」のは「日本の反核左翼運動」だと

自分たちの言い分の前提になってる「誤認」を他者の誤認にすり替える…というのは

さすがの「櫻井理論?」でありますな…


ちなみに、憲法9条は、「日本が紛争の当事者になること(武力行使の当事者になること)」を

首の皮一枚でなんとか阻止してきたわけですので、「戦後70年間に何の紛争防止効果もなかった」というのも

何をどない受け止めたらそんな結論になんねん!…と、強くツッコんでおきましょう

(そやかて、もし、憲法9条がなくて、彼らが欲しがってる「集団的自衛権」が行使し放題であったなら
 日本は既に武力行使の直接当事者になってたでしょうからね)

それなのに…

「憲法9条が平和を脅かす」…と、真逆のことを言うんですね、櫻井さん…

(ぼく、アンタたちのような人が一番平和を脅かしてると思うねんけどな…
 と言うか、アンタたちは「平和」を語りながら、実際は「平和」なんか望んでないねんやろ?)


で、このトンデモ講演会で櫻井さんとともに檀上に立つ予定であるのが

「集団的自衛権行使は合憲(=憲法9条に反しない)」という異端説を唱える希有な憲法学者?の百地章…

って、逆に考えると、「集団的自衛権合憲派」って、

在特会とやってること(や言ってること)がおんなじレベルの人たち…ということになってるので

相手にする必要もない(→非難はすべきだけど、議論の必要はないし、そもそも議論の相手にはならない人たち)

と、思っとります

(…なんて結び方をしてしまったら、このエントリーで相手にしてきたコトと、思いっきり矛盾するな…)

戦争法案関連…安倍ちんの放言…というか、呆言

え〜、政治家というのは発言を記事にはしないという前提で記者に対して

時に本音を「オフレコ」という形で吐露するんです

今回は、安倍ちん「オレ様首相」(別名、「ボクちん王様首相」)の本音発言ともいえる

数々のオフレコを伝える週刊誌の記事から…ではなくて、その記事を紹介するネットの記事から

みなさんにその放言(…というか呆言)ぶりを存分に味わって頂きましょう…


なお、引用元は

安倍首相が官邸記者とのオフ懇で「安保法制は中国が相手。必ずやる」と戦争宣言!」(リテラ)

…ですので、上記のリンク先の記事をお読みになって頂けるなら、

例によって、これから先を読む必要はございません

(そやかて、記事の引用だけのエントリーなので…)


では、記事の引用だけのエントリースタート…

「私の名前はアベノミクスで歴史に残る」

う〜ん、「アホの見本」…やなかった、「アホノミクス」…でもなかった、「アベノミス」でもない

「アベノミクス」なるもんが歴史に残るとしたら、それは「別の意味で」やと思うねんけど

この人、そうは思ってへんよね…

(だから、「勘違い系」って言うのよ、この人…)


「僕が何をいおうが、(あなたがた記者は)悪く書けるはずがない」

あの〜、報道機関が「ボクちん(=安倍ちん)のことを悪くかけるはずがない」と断言できる根拠は

いったい何なんでしょうかね…?

(それはやっぱり、圧力…というか恫喝ですか?)


「そもそも(粛々という言葉を)上から目線というのがおかしいだろう。『粛々』に失礼だろう」
(↑翁長沖縄県知事が菅義偉官房長官の発言を批判したことに関しての発言)

「粛々」に失礼…って、そら、沖縄県知事に対して失礼だろう (三日月ポン太談)

…というかね、安倍ちんにしても管ちゃんにしても、

「上から目線」になりようがないくらいに「愚かな人たち」が

「上からの目線」でしゃべってる…っていうのが、俺、根本的にわからんねん…


「だいたい論点は出尽くしたでしょ。もう議論することなんかないのに」
「(民主党)の岡田(克也代表)さんなんて、いつも同じことばっかり言っている。意味がないですよ」
「あんな民主党はもう終わりだよ」

あのね、晋三くん、アンタ、「論点は出尽くした…」なんて言うとるけど

論点も何も、「集団的自衛権行使を含む戦争法案は違憲です」というのは

「論点」ではなくて「結論」であるところ

最初から「結論」が見えてることをどない論じるのよ?

(そやかて、「戦争法案なんか違憲や!」ということ以外に、言うことないやん…)


それに、どこかの誰かさんに「総理、何を聞かれても『このように話して下さい』」と教示してもらって

誰がどんなことを聞こうと「いつも同じことばっかり言って」いて、「意味がない」ことしてるのは

安倍ちんの方やんか…


ということで、ここでひと言…

「あんな自民党…というか安倍ちんんはもう…というか、最初から終わりだよ」(三日月ポン太談)


「安保法制は、南シナ海の中国が相手なの。だから、やる(法案を通す)と言ったらやる」

南中国海で中国と周辺諸国との間に領有権争いがある…

それはみなさんご存じでしょうけども、それはあくまで「中国と周辺諸国との間の問題」であって

日本と中国の問題ではないんですよ

(ちなみに、他国の領土領海の争いに首を突っ込むほど、愚かしい行為はありません)

そやから、「日本の問題」でもない「南中国海での中国」と、

いったいどういう理由で相手になると言うてんのか、ぼくにはさっぱりわかりません…

(まさか、安倍ちん、南中国海は「日本の権益」とでも思ってはるんでしょうかね…?)


そんでも、この発言は「戦争法案」の中身を正直に表してまして

やっぱりこの法案は、他国間の争いに割って入っていく

(=日本が攻められてもいないのに、自ら進んで紛争に参加する)

…という「戦争参加法」やということですね

(なんで、憲法9条で戦争放棄してるのに、コイツらは、戦争に参加できると言うてんねん!)


ところで…

「やると言ったらやる!」…なんて、頼みもしないことを使命感をもってる人って

大阪にもおったけど(…というか、今でもおるけど)、こういう人が一番、困るよな…

(それやのに、トラブルの元になってる自覚が当人にないのが、情けなくもあり、腹立たしくもあるで…)


「ほら、待ってれば韓国の方からアプローチしてくるんだよ」
(↑韓国の尹炳世外相が来日したことに対して)

自らの韓国へのアプローチはまったく忘れて、韓国側だけからアプローチがあった…と言うのは

これまた、何という「自己都合解釈」なんでしょうか…

(ってか、こんなん、単なる作文(=作り話)やんけ!)


「慰安婦問題は3億円あれば解決できるんだ。でも、カネの問題じゃないからなあ」

もちろん、日本軍性奴隷の問題は「おカネの問題じゃない」けど、

安倍ちんは、それを「違う意味で」つことるな…

(やっぱり、この問題の本質をな〜んもわかってへんで、このオッサン…)



引用もとの記事では、結びで

6月24日には、東京・銀座の日本料理店「銀座あさみ」で、またぞろ、マスコミ各社の編集幹部との会食が行われた。参加者は、朝日新聞の曽我豪編集委員、毎日新聞の山田孝男特別編集委員、読売新聞の小田尚論説主幹、日本経済新聞の石川一郎専務、NHKの島田敏男解説副委員長、日本テレビの粕谷賢之メディア戦略局長、時事通信の田崎史郎解説委員といういつものメンバーだ。

…という記載がありましたが、報道陣と権力者の癒着がこれほど内外から「あり得へんやろ、こんなん…」と

非難を浴びているのに、それでも「会食接待」をやめない安倍ちんも安倍ちんなら

安倍ちんの「ご招待」を断らない大手メディアのお偉いさんかて、

安倍ちんに負けず劣らずの「愚か者」…というか「恥知らず」…と思うねんけど

「アンタたち、自分の職業わかってんのか?」…と、ぼくは声を大にして言いたいです

首相にヤジを飛ばす自由すらない…なんてあり得ないと思う

昨日は沖縄の「慰霊の日」でしたね

(…とゆうても、ぼくがその日にちを覚えているわけもなく、
 病院の待合室で見たニュースで知ったんですけど…)


沖縄では、慰霊の日に沖縄全戦没者追悼式が「糸満市の平和祈念公園」で開かれるんですが

この追悼式には首相が参列してあいさつをするのが慣例になってるようで

今回の追悼式には安倍首相が参列して、あいさつを述べてましたわ


ところが、その安倍首相のあいさつが、沖縄の人々から見てかなりふざけた内容だったので

あいさつの途中にヤジが飛んだ…ということがあったそうです

この出来事について、AFP通信は

「日本で首相が直接市民からやじられることはまれだ。」と報道してまして

そういや、日本で首相が市民からヤジられるということはあんまりないな…と

ぼくは思い返してみたんですが、それは考えてみればとっても不思議…というか、奇妙…というか、

違和感のあるコトだと思ったんです

(そやかて、国の政治リーダーが市民からヤジられる…なんて、
 独裁国家以外では、ごく当たり前にあることやないですか)


ほな、なんで日本ではそういう「ごく当たり前の風景」がほとんどないんでしょうか…


それは市民が、首相という「権威」に一目置いてるから…ですか?

(う〜ん、それは「一目置いてる」…と言うよりも、
 単に首相という権威に「びびってる」からやないですかね…)


それとも、首相は間違ったことを言わないから(ヤジられる理由がない)…ですか?

(う〜ん、これもまた説得力ゼロですね…)


ぼくね、日本で首相が市民からヤジられない理由の第一は

そもそも日本の首相はヤジられるような場には基本的に出て行かないから…やと思ってるんです

(街頭演説でも、前もって動員かけて内輪の人間で周りを固めますからね)


でも、今回はそうはいかなかった…

だって、沖縄の大反対のなか、現在進行形でアメリカ軍のために

沖縄に新しい広大な基地を押しつけようとしてる安倍首相が

「沖縄の基地負担軽減に全力を尽くす」…なんて「ふざけたコト」を言うたら

ヤジが飛ばない方がおかしいわけでして、もしぼくがその場にいたとしたら

やっぱり、声の限りに「ふざけるな!」とヤジを飛ばしたことでありましょう


思えば、国の政治リーダーにヤジを飛ばせるのは、民主国の証…でありまして

主権者が「公僕のリーダー」にヤジを飛ばせずして、何の主権者か…と思うし

それくらいの自由がなければ、これまた、なんの民主主義なのか…とも思います

でも…

ヤジを飛ばすにしても、場所をわきまえろ…という意見もあって↓

安倍首相のスピーチに、会場から「帰れ!」の声がかかる。「戦没者追悼式」にはふさわしくないという意見もあると思うが、戦没者の御霊を想うからこその怒りの声だと思う。声には出さなくても、同じ気持ちでいる人は多いのではないか。(←ひとさまのtweetより)

追悼式という場にヤジはそぐわない(ふさわしくない)…という意見もあるかとは思いますが

では、安倍首相のあいさつは沖縄全戦没者追悼式にふさわしいものだったのか…と言えば

そんなことはまったくなく「かなりふざけた内容」だったわけですので

追悼式にふざけたあいさつをする人間を非難する行為(=ヤジ)が

追悼式という場にふさわしくないのか?…と言えば、それは逆じゃないのかと、ぼくは思います


そして、目の前でふざけたコトを言われた市民がそれに対して「抗議のヤジ」を飛ばすことは

主権者意識の高さ(≒民主主義度の高さ)を示しているとも思うので

ぼくはこのたびのヤジが誠に好ましいものに映って仕方がありません





※この出来事に関して、ネットに早速「まとめページ」ができてたので↓

(NAVERまとめ 6/23) http://matome.naver.jp/odai/2143503143854896401

ちょっとのぞいてみたんですが、安倍首相にヤジを飛ばした側の「民度」うんぬん…という

非難のコメントがけっこうありました

しかしながら、首相が目の前でふざけたコトを言ったのにヤジも飛ばせないのだとしたら

それは「主権者意識≒民主主義度(≒民度?)」が低い…ということに過ぎないので

これはまったく的の外れた非難であると思いますし、

コメント主の「主権者意識の低さ」を物語るものであると思います