2015年03月

「トラウマ」って、個人のもんのはずなんやけどなぁ

トラウマってゆうたら、それは個人のもの…のはずやんね

(そんなこと、心理学者でなくてもごく当たり前にわかることやと思うで…)

なので、PTSDかてもちろん、生身の人間がなる疾患なわけで

組織がトラウマを抱えてる…とか、PTSDにかかってる…なんてゆう話はないはずやねん

ところが…

なぜかメディアが決まって「外務省(あるいは日本政府)のトラウマ」と表現する事柄があって

ぼくはそういう表現に出くわすたんびに、なんで組織がトラウマを抱えんねん!…とツッコんでるんです

ちょっと例を挙げてみましょか…

(現場から考える 安全保障法制:上) (朝日:2015年3月30日)

〜湾岸戦争で日本は多国籍軍に130億ドルもの大金を出し、停戦後には機雷除去もした。だが米国などの国際社会からは「少なすぎる、遅すぎる」と批判された。

 当時、安全保障に関わった日本政府関係者たちは強い衝撃を受けた。それがいまに至るまで政府内の「トラウマ」になっている。〜

 湾岸戦争のすぐ後に衆院に初当選した首相は、このトラウマを共有している。06年の著書「美しい国へ」では「お金の援助だけでは世界に評価されない」と主張した。〜

「政府(内)のトラウマ」って、いったい何なんですかね

(政府という「組織」がトラウマを抱えてる…って、そんなコトあるんですか?)

それとも、政府内にいる人間の多くが(同じ)トラウマを抱えてたら

それは「政府のトラウマ」というコトになってまうんですか

(そんなアホな…)


それにね、「トラウマ」っていう言葉は言うまでもなく「否定的な言葉」なので

ある事柄が「トラウマ」になってる…なんてこと言われると、

そう、大変だったね、じゃ、今度からは、そんなトラウマを抱えないようにしないとね…ということになって

「政府のトラウマ」に同情し、今後はそういうことがないように…、つまり

今後はお金だけじゃなくて「人も」出さないとね…なんていう反応を引き出すことに繋がるので

ぼくはこういう(デタラメな)表現をメディアが不用意に(あるいは意図的に)用いることには

前から強烈に引っかかってるんです


このように、本来はあくまでも生身の人間(個人)が抱えるトラウマという症状を

組織(集団)に対して安易に用いるのは、とても大ざっぱ(デタラメ)かつ危険なことなので

今後はこういう日本語の誤った表現を使用しないで頂きたいと、

ぼくはメディアに強く要望したいですわ

(そやかて、例えば原発事故のあった「福島のトラウマ」とか、
 原爆を投下された「広島のトラウマ」「長崎のトラウマ」なんていう表現には
 お目にかかったことないですやん…)



※同種のトラウマをいかにたくさんの人が共有しようと、

それは「組織のトラウマ」になるわけでもないし「地域のトラウマ」になるわけでもない…とは思うんですが

百歩譲って、仮に、組織にもトラウマがある…と言うのであれば

その「トラウマの妥当性」が吟味されるべきだと思います


まず、日本が湾岸戦争時に出した「130億ドル」という金額は「少ない」こともないし

国の最高法規である憲法の制約によって海外で武力行使できないから自衛隊は出せまへん…というのは

当たり前のことなので、それに対してイチャモンをつけてくる方が、そもそもおかしいんです

(そういうコトを責めるのは「内政干渉」そのものでっせ…)

だから、こういうイチャモンには、日本政府お得意の言葉である「毅然とした態度」で

はねつけてもろたらええわけですわ

(トラウマになってる場合やないっちゅうねん!)


それに、日本政府がショックを受けたのは、言うまでもなく

「世界から」言われたのではなく「アメリカから言われたから」であるところ

(そやかて、アメリカ以外の国から何かを言われても、日本政府は気にしませんやん…)

・「アメリカの言うことを勝手に過大に受け止める」
・「アメリカの機嫌を損ねるとたいへんなことになると思い込んでる」
・「アメリカの言うことを聞くのが日本政府の仕事だと錯覚してる」

…という日本政府の「アメリカ一辺倒症候群」(生理的アメリカ従属症候群)こそが根本的な問題なので、

日本政府のトラウマを治すには、こういう「日本政府の病気」を治すことが不可欠であるとぼくは思います

「体裁と中身」

去年のことやったか、「憲法9条をノーベル平和賞に」という運動がありましたよね

ぼく、その運動を知ったとき、なんかこう…、諸手を挙げて賛成できない…というか、

もっと正直に言うと、それはちょっと厚かましい(鈍感な)話やないのかな…と思ってたんです


そやかて、平和憲法の根拠ともいえる憲法9条があっても

日本には「世界一戦争をする国アメリカ」の軍事基地があり、

過去、日本にあるアメリカ軍基地はアメリカによる数々の戦争に使われ

その限りにおいて、日本もアメリカの戦争に「加担」してたわけなので

そういう(憲法9条とはかけ離れた)「実情」をおいといて、

単に不戦を掲げる憲法9条だけを取り出して、ノーベル平和賞ちょうだい…というのは

あまりにも虫が良すぎる(≒鈍感な)話だと思ったからです


けれども、そういう「悲しい現実」があるからといって

憲法9条には価値がないんだ…と言うてるだけでは、現状を追認することにしかならないし

こういう憲法9条無力化を阻むためにも、ノーベル平和賞というものをテコにして

改めて憲法9条の価値を内外に知らしめ、特に

日本国内で政府自民党による憲法9条無視を食い止めることも

一つの手段としてええんではないか…と思い始めたりもしてるところです


ぼくは自他共に認める「ひねくれ者」なので、憲法9条については

既に(…というか、最初から?)何の歯止めにもなってない…という冷めた見方をしてきたんですが

改めて考えてみると、それは「憲法9条が悪い」のではなく「憲法9条を無視する者が悪い」んでした

だから、永らく権力者に無視され続けてもはや風前の灯火になってしまった憲法9条ではありますけども

ぼくはこの憲法9条という「体裁」を守り続けていくべきだと思ってますし

今は「体裁」に過ぎない憲法9条を「中身のあるもの」にしていくことが

とても大切なことであると思ってます

「理想と現実」

憲法が「現実」に合わなくなっているから(現実に合うように)変えるべきだ…という言い方が

改憲派の人から語られることが多いですよね

そして、こういう言い方をされると、

「うん、そうだよな、現実は日々刻々変わってるんだから憲法がずっとそのまんまってわけにもいかないよな」

…と、受け止めてしまいがちになるとは思うんです

けど…

憲法というものは、目指すべき「目標」や実現すべき「理念」が書かれてあるもんだし

憲法に謳われてる権利や自由の内容も、憲法があるから即実現されるもの…というよりは

憲法の理念に基づいた法の制定や各種施策によって実現されるものになってるので

憲法って、もともと「理念が先行する」体系になってるんです

(→つまり、現実との乖離は最初から予定されている法体系だということです)


だから、単に形式的客観的に「憲法が現実に合わないから」ということで

現実に憲法を合わせようじゃないか…というのは本末転倒で

現実が憲法に合わない(≒追いついていない)なら、その憲法の理念や目標を実現できていない現実を

少しでも憲法に近づけていくことがより求められているわけでありまして

それこそが「憲法の役割(存在価値)」と言ってもええわけです


だから、逆説的に言うならば、「現実と合わないところに憲法の存在意義がある」…とも言えるわけなので

今後は「憲法が現実に合わなくなっているから(現実に合うように)変えるべきだ」という人がいても

そら、話が逆や…と受け止めて頂いて、こういう「話を逆に言う人たち」の言うことは

信用しないで頂きたいと思います

「本音と建前」

「本音と建前」って言う言葉は、どちらもあんまりええ意味には使われませんよね

そやかて「建前」って、言うてることやしていることに内心が伴ってないってコトやし

そういう「建前」に隠れてる「本音」って、決していい内容ではないコトが多いですからね


で、最近、安倍首相が自衛隊のことを「(我が)軍」と国会で答弁したことがあって

そういう表現をした首相は今までいてなかったもんやから…というか、

憲法上、自衛隊は「軍」ではないっていうのが政府の見解だったので

これは従来の政府見解を逸脱するものじゃないのか…ということで、問題になってますよね


そんでも、素朴に考えて自衛隊という組織は、外国から見て…というか、

国際法上はどこからみても「軍隊」そのもの…なので

こういう日本国内のやりとりは、わかりにくいものではあると思います

(これは、国際法上は「武力行使」そのものである「機雷掃海」を
「通常の武力行使とは異なる受動的なもの(だから「武力行使」にはあたらない)」と
 説明してる安倍ちんのわかりにくさとソックリです)


そうそう、わかりにくいと言えば、

そもそも、憲法9条で「戦力」を保持しないと定められてるのに

なんで自衛隊という世界有数の軍隊が存在してるのか…というのもわかりにくいんですが

これについては、「自衛のための必要最小限度の戦力は憲法に言う『戦力』には当たらない」…と

やっぱり、わかりにくい説明がされてます


また、憲法9条で禁止されている集団的自衛権が「必要最小限度なら行使できる」と言って、

集団的自衛権行使を前提とする安保法制を現在進行形でつくってるのも

やっぱり、単純な思考回路しか持たないぼくのような人間には、誠にわかりにくい状況ではあります


このように、日本には憲法9条に関連して

「わかりにくい説明」ばっかりが現在に至っても繰り返されてるわけですが

なんでこんなわかりにくいことになってるのか…と言えば、それは言うまでもなく

憲法9条があるから…でありまして、政府与党がどんな「本音」を持とうが

憲法9条という「建前」を(形式的に)無視することはできないから…なんですね


だから、ぼくはこの憲法9条に関する「本音と建前」については

その「建前」にも価値はある…と思ってる一方で、

その「建前」をホントは無視したい「本音」なるものには

まったく価値がない…どころか、害ばっかりだと思ってるんです


また、憲法9条に関して「本音と建前」という状況を生んでいる原因はなにかと言えば

それは憲法9条を「建前」にしたい人たちが政権を担ってるからなので

ぼくたちは一日も早く、憲法9条に関する「建前」を「本音」にしてくれる政権を選んで

憲法9条に関する「本音と建前」から卒業すべきであると思います

「人身売買」っていう言い方は、新しいアイデアなのかね?

なんか、訪米を前にしてアメリカの新聞のインタビューに答えるなかで出てきた言葉とはいえ

ぼくは、どうも引っかかるな…

戦時中の慰安婦「人身売買の犠牲」 首相、米紙に答える (朝日:2015年3月29日)

 安倍晋三首相は米紙ワシントン・ポストのインタビューに応じ、戦時中の慰安婦について「人身売買(ヒューマン・トラフィッキング)の犠牲となり、筆舌に尽くしがたい痛みと苦しみを経験された人々を思うと心が痛む」と述べた。同紙電子版が26日に報じた。

 記事では英訳が掲載されており、首相が日本語で実際どのような表現を用いたのか不明だが、同紙は、首相の側近が「『人身売買』との言葉を公に使ったのは初めて」と指摘したとも伝えている。

 首相はまた、「安倍政権は、村山談話や小泉談話を含む過去の政権の歴史認識に関する立場を維持する」とも強調。慰安婦問題への「おわびと反省」を述べた河野談話についても「見直さないとこれまでも明らかにしてきた」と述べた。

 一方、オバマ政権が進めるアジア太平洋重視政策について、「日米同盟の抑止力を高めるのに欠かせない」としたうえで、オバマ大統領が昨年4月の訪日時に、尖閣諸島が日米安保条約第5条の適用範囲と語ったことに触れ、「非常にはっきりと明言された初めての大統領だ」と評価した。

 4月末の訪米目的について、①日米同盟強化によるアジア太平洋地域や世界における平和と安全への貢献②環太平洋経済連携協定(TPP)③自由や民主主義、法の支配などの価値観の共有、について協議したいとの考えを示した。

従軍慰安婦は人身売買の犠牲者ですか…

いや、そらね、これは間違ってないですよ

そやかて…

「人身売買」なら軍や政府に責任がない、と思うのは日本の右翼だけ。 / “日本政府統治/支配下で起きた大規模な人身売買だと認めるなら、日本政府として公式謝罪と補償をすべきですね - 誰かの妄想・はてな版” http://htn.to/YF7zWAa (←ひとさまのtweetより)

…ということなので、従軍慰安婦が人身売買の犠牲者であることは、その通りですわ


けど、ぼくはこの安倍ちんの言葉に、従軍慰安婦制度(=性奴隷制度)に関する、

「大日本帝国の直接的な当事者責任」をうやむやにする意図があるように思えて仕方ないんですわ

(…と言いつつ、このtweetにあるように、そんな理屈?が成立するのは
 およそ世界で、安倍ちんたちの頭の中だけですけどね…)


つまり、慰安婦は人身売買の犠牲者であった…ことは認めるけど

じゃ、誰が人身売買をしたのか?…と言えば、それは「民間の業者が」…と言う話になり

「その業者の中には朝鮮の業者もいたよね」…とか、

「娘を業者に売る朝鮮人の親だっていたんだよね」…なんていう話を持ち出して

結局は、「大日本帝国の直接的な当事者責任」をうやむやにする…という意図があるんじゃないかと

ぼくは感じてるんです


そんでも、「従軍慰安婦制度(=性奴隷制度)」は大日本帝国(≒日本軍)がその仕組みを考案し

制度として運用してきたもんですから、安倍ちんの言葉を正しく添削すると

「従軍慰安婦は人身売買の犠牲」になった…というよりは、

「大日本帝国(≒日本軍)の犠牲」になったわけでして

人身売買の「総括的主体」の話をすっ飛ばしてもろたらアカンのですわ


それにね、安倍ちんは日本の首相として米紙のインタビューに答えているはずなのに

なんで従軍慰安婦のことに関しては「心が痛む」という「個人的心情」で応えてるんですか

(そやかて、その他の事柄に関しては、しっかり「首相として」応えてますやんか)


現在の従軍慰安婦の責任問題の当事者中の当事者である日本の首相が、

「心が痛む」なんていう第三者的言葉をつこてどないするんですか

(誰が聞いても「心が痛む」ようなことしたのは、いったいどこの国なんですか)



…ということで、安倍は今回初めて従軍慰安婦に関して「人身売買」という言葉を使ったんですけども

それは日本の責任を認める趣旨で用いたのではなく、

その責任を曖昧にする趣旨で用いたのはミエミエなので

ぼくはこの発言を評価する気にはまったくなれません…




※せっかくなので、tweetに出てたリンク先から、アメリカ下院で満場一致で採択された、

いわゆる「慰安婦決議」の内容を一部抜粋しておきます

 日本政府は1930年代から第2次世界大戦までの期間、「慰安婦」と言われる若い女性たちを帝国軍への性的サービス目的のため動員することを正式に委任した。日本政府による強制軍隊売春制度である「慰安婦」は、集団強姦・強制流産・恥辱・身体切断・死亡・自殺を招いた性的暴行等の残虐性や規模面においても、前例のない20世紀最大の人身売買の1つだ

 1.日本政府は1930年代から第2次世界大戦前に至るまで、アジア諸国や太平洋の島々を植民地化したり、戦時に占領した過程において、日本帝国主義軍が強制的に若い女性たちを「慰安婦」と言われる性の奴隷にしたことを、事実として明確な態度で公式に認め、謝罪し、歴史的な責任を取らなければならない

2. 日本の首相が公式声明を通じ謝罪するなら、先に発表した声明の信ぴょう性と水準に対し繰り返し唱えられる疑惑を解消する一助となるだろう。

3. 日本政府は「日本軍が慰安婦を性の奴隷にし、人身売買した事実は絶対にない」といういかなる主張に対しても、明確かつ公式に反論しなければならない

4. 日本政府は国際社会が提示した慰安婦勧告に基づき、今の世代と将来の世代を対象に、残酷な犯罪について教育しなければならない

従軍慰安婦の問題と言えば、「韓国が〜」と脊髄反射する方へ…

これは「韓国が〜」ではなく「アメリカが〜」日本に対して言うてきたことで

その中には、「国際社会が〜」という内容も含まれていますので

もう、ええ加減に「韓国が〜」という脊髄反射から卒業しませんか…?




※ところで、冒頭で紹介した安倍ちんへの米紙インタビュー記事のなかで

安倍ちんが4月末の訪米目的について、

「自由や民主主義、法の支配などの価値観の共有」について協議したい…と答えたそうですが

法の支配(=立憲主義)のことを「王権が絶対権力を持っていた時代のもの(=過去のもの)」と

世界がのけぞるようなことを言ってのけたのは、誰ならぬ、安倍ちんでして

自らが「過去の価値観」だと断言した法の支配という価値観を

いったいどないしてアメリカと「共有」するって言うんでしょうかね…

(もう…、ホンマに、誰かなんとかしてくれ、このオッサン…)